飯田市内の、とある山中にある作業小屋・・・
一見何の変哲もない木造平屋の小屋だが
毎回ここを通りがてら、内部を覗き見するのが楽しみ
松丸太を手刻みで組み上げた、今や
希少な工匠の作品とも言えるもの
桁行(長辺方向)は
7間(13M 弱)もあり、使用材は通し物の赤松丸太材なのだ

曲がった松梁に寸分の狂いもなく
埋め込まれた束材の納まりには本当に驚嘆・・・・一体どうやって墨出しを行なったのか・・・

桁行・梁間に
松丸太を交叉させるのは、正方形に近い「本棟造民家」
によく見られる工法ではあるが、こんなに繊細ではない。

倉庫にはこんな丸太材が、無造作にゴロゴロ
度々覗き見してたら、ある日建て主と思われる棟梁に遭遇・・・・会話の中で
「やっぱ木は100年経たんと、粘りがないなあ」 という何気ない一言が
工匠の言葉として強く突き刺さった。
後程,その言葉をかみ締めてみると、
樹齢100年の木の事を言っているのか、
伐採後100年経過した木の事をいっているのか・・・・
ヒノキ材が上棟後100年使用され、初めて強度が出るとは通俗論ではあるが

100年、いや
200年位経過した時点が最強度らしい。1000年以降も伐採時の強度を
維持するという事は、
飛鳥の法隆寺も同じ強度を維持しているという事か?!
その後、その棟梁が建てられたという住まいを人伝に捜し当て見学。
たまたま隣の方の駐車場を見上げると、同じ棟梁が組み上げたと
一見で解る小屋組みが出現・・・・

同じ棟梁により架工された駐車場・・・
工匠の技が結集し、今や希少な建築物
「こんな駐車場はもう二度と手に入らないから、大事に使って下さい」と
お節介なアドバイスを一言。
訪ねた70代の地域の名士と思われるお施主さんは、快く内部を見せて下さり、
「木材は全て御自身の山から切り出した材を使用した」と伺う
樹齢200年近いヒノキ材が、まだ御自身の山に豊富に残っているという
話にまたビックリ、
玄関に頭を出した巨木のヒノキ材は室内まで
9間(14.0M)の通し物「おえ」にあたる吹き抜け部は巨木が何層にも組んである




あの作業小屋に通じる同種の加構であり、いやはやよくも
組み上げたものだ
建具も地域の
職方による工芸品と呼べる秀作がずらり

その後、家主から「
力強く木を愛する住まいづくりに対する想い」をお聞きし
「こんな元気な方がいるではないか。間伐期を迎えた木材が山に溢れる
現実をもっと訴え、良質なすまいを提供するよう頑張れ・・・・・
それが
南信州に生きる建築士の責務ではないか!」と自分自身に激をとばしたのであります。
早速、現在設計中の木造小屋組みを、登り梁から
松丸太アラワシの小屋組みに変更棟梁の意気込みに
弟子入させて戴く心境なんです。
地域の山林を知り尽くし、木を刻み地場工法で組み上げ、地域素材で仕上げる・・・
この様な工匠の方々の後継者が
、ハウスメーカーの進出、簡略工法の住まいの増加により
居なくなってしまうのだ。
これが良きはずはなく、地域の主要な産業であった林業・木工業・循環経済のなかでの多業種、
地域文化の継承をめざして、
同胞の皆さんと一騎団結、頑張っていく所存であります。